戦後生まれと鯨
ちょっと一切れのつもりで食べたらいつのまにやら一柵食べてしまったという鯨の刺身も
spiseさんから送られてきたものの一つです。
なんとも懐かしい鯨の刺身は半解凍で唐辛子醤油(醤油に一味唐辛子)でと、子供の頃から厳しく躾けられてきた私です。故郷はかつて捕鯨基地として栄え、近代捕鯨発祥の地として名高い下関、に近いサンデンバスで2時間の片田舎でした。
そんな私が今でも鮮明に思い出すのは、山の上に聳える鯨の水族館① 鯨の水族館②と、小学校の遠足で行った鯨工場(大洋漁業/現マルハ)で見た巨大な鯨のチ○コと○ン○。←校長先生が説明してくれた。
それでも当時の学校給食で鯨(の竜田揚げ)を食べたという記憶が一切ないのはどうしたことだろう。不味い脱脂粉乳とぽそぽそしたコッペパンは強烈に覚えているのにギブミーチョコレート。
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鯨のベーコンも懐かしい。けれどこの前スーパーに並んでいるのをみたらとてつもなく高価で手が出ませんでした。spiseLOVE♡。
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■千、万、億、兆、京(けい)から、魚偏に非常に大きいという意味の「京」で「鯨」。
勇魚いさな海鰌かいしゅうくじら(雌)、海鰍、番車魚(読み人知らず)とあるのもクジラであるとか。
by eight-b | 2007-02-25 16:01 | Comments(2)
Commented by aonami24 at 2007-02-25 16:46
Oh!ゲイ(鯨)だ― と叫びたくなります
お刺身は久しく食べてないなあ
ベ―コンは時々食べていますが
本当は塊で買い、自分の好みの厚さにスライスしたいのですが
薄くきりすぎてあるのが多いので、コレくらいの厚さはいいですね
ベ―コンも鯨の種類により、色んな味と食感が楽しめます
ああ! 和歌山の太地に行きたくなりました
太地では色んなベ―コンを食べ比べさせてくれます
名古屋から下関はお金がかかるので、
紀伊勝浦の先の太地ならギリギリ在来線の特急で日帰りも・・・・・
下関は何時も通過ばかりで・・・・・・
近所の同級生が水産大学をでて○はに就職、下関にいましたので
何時かと思っていましたが、3年前なくなりました
近所のお寺の次男でした・・・
私より一回り位若いeight-bさんでも脱脂粉乳経験者ですか
私はバケツの底に残ったドロドロを時に持参した飯ごうに入れて
持ち帰り、家で砂糖を入れてとろ火で溶かし自家製練乳に仕立てました
小学校5~6年ですから昭和28、9年でしょうか
Commented by eight-b at 2007-02-26 08:44
aonamiさん
ベーコンの厚さは申し分なかったのですが
鯨の刺身はこれでは薄すぎました(^-^;)

下関は今でこそ河豚でその名を知られていますが
私の育った12年間の記憶の中では下関といえば「鯨」でした。
河豚なんて食べたのはここ最近です。といっても十年一昔感覚ですが。
そういう意味でも鯨世代、脱脂粉乳世代です。
それにしてもaonamiさんは全国津津浦浦お詳しい。
私は住んだことのある土地以外ほとんどどこも知らないので
今このトシになって知らない土地に行くことに無上の喜びを感じます。
そんな中でここでこうしてで故郷の味を懐かしむことができることも嬉しいことです。

>私はバケツの底に残ったドロドロを時に持参した飯ごうに入れて
>持ち帰り、家で砂糖を入れてとろ火で溶かし自家製練乳に仕立てました

当時砂糖は貴重品で、親の目を盗み手のひらにのせて舐めていた記憶がありますが(笑)
確か幼稚園前だったと思います。昭和34、5年。
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