がんばれ福島
2008年 5月 福島県会津若松 再掲です。


会津の地に聳える東北屈指の名城鶴ヶ城は、若松城、会津若松城、黒川城、会津城
どう呼んでも正解だそうです。
お城の中ではビデオも観ちゃったりして鶴ヶ城の変遷なども知ることが出来ます。
会津藩最後の藩主松平容保は今風のイケメン。
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七層の黒いお城から五層の白いお城に改築され
そして戊辰戦争での傷ましい傷跡のままの鶴ヶ城が
無残な姿で白黒画像として残されていました。
今の見目麗しい鶴ヶ城は昭和40年に復元されたものです。
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お濠を彩る1000本のソメイヨシノはすっかり葉桜に変わりましたが
城内では今を盛りの八重桜が自身の重さに耐えながら咲き乱れていました。
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そして会津の悲劇 白虎隊 自刃(じじん)の地 飯盛山 へ
白虎隊自刃の地
戸ノ口原の戦いに利あらず白虎隊士20名が西軍の追撃を
受けながらやむなく戸ノ口堰洞穴をくぐり、この地にたどり着
いた時は鶴ヶ城付近の侍屋敷が大火災を起こし、天守閣は
炎と煙に包まれており、主君の元に馳せ帰るべき最後の望み
は失われた。最早や落城は目前に迫る吾等君国に殉ずるは
この機なりと全員遙かお城に拝礼し従容とし自刃し相果てた地である。

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飯盛山から鶴ヶ城落城を仰ぎ見る白虎隊士像
これが現地に足を運んで俄かに歴史をかじっちゃったりすると実に切なく見えるのです。
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しかし落城したと絶望して自刃したその時、鶴ヶ城はまだ落ちてはいなかったのです。
白虎隊が自刃した1ヶ月後に鶴ヶ城は落城したのです。
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白虎隊士中二番隊十九名の墓前には今も香煙が絶えることはありません。
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白い周防桜が迎えてくれました。
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戸ノ口堰洞穴
白虎隊士中二番隊二十名が鶴ヶ城の安否を確かめようとこの洞門を伝って
飯盛山までたどり着いたといわれています。
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白虎隊十九士の霊像を祭るお堂
飯盛山での自刃二十名の内、唯一の生存者飯沼貞吉(1854~1931)によって
白虎隊の悲劇が伝えられました。
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『明日よりは何処かの誰か眺むらむ 馴れにし大城に残る月影』
を静かに思いつつ本日のお宿へと向かいます。


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今回唯一予約をとった宿 庄助の宿「瀧の湯」 の 夢想庵 に泊まりました。
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貸しきり湯で「極楽、極楽」

by eight-b | 2011-05-02 16:29 | Comments(0)
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